【母と同じ病気だったのは盲腸(虫垂炎)は季節によって直りが違った】

盲腸と聞くと今は盲腸炎と

言うそうですが、昔は盲腸。

母が盲腸になったのは私が

小学校3年生の夏から秋に

かけて入院したと思った

なぜ、覚えているかと言うと

それは、お見舞いの時の果物

果物籠の中に入っていたのは

緑色した、香りがとっても強い

マスカットが鼻につき覚えて

いるからです。

マスカットの独特な香りを食べた

事だけが今でも残っている。

私も母と同じ盲腸になったのは

高校三年生の冬休み前でした。

私は高校時代は寮生活で実家は

列車で2時間ほどの田舎の温泉町

たしか学校の授業を受けて

寮に戻った時に、急にお腹が

痛くなって今日田舎へ帰る

支度をしていた矢先の事、ちょっと

我慢すれば治ると思い、少し

ベットに横になっていましたが

我慢できずに、帰る支度をして

駅までタクシーで行き、いつもなら

鈍行列車(普通列車)で時間を

駆けて帰るのですが、今回ばかりは

たまたま時刻表を見ると急行列車

が直ぐ乗れるのを知って、普通切符

と急行料金の切符を買って乗車した

その時、額からは冷や汗と冬なのに

いやな感じがした。

列車の中は暖房が入っているのだが

学生コートを着ていても寒気がして

じっと耐え、到着するまで、

寝たふりをして我慢した。

田舎駅に列車が停車するのと

同時に、下車して自宅へ一目散に

帰り夕方だったので次の日の朝

病院へ行き、お腹を出して先生が

両手で、右下の腹部を抑えても

痛くないのです。その次に溝内を

抑えたとたん、右下部分が激震が

走り、痛いと声を上げた、その時

先生から、盲腸です。今日入院して

くださいと言われ、入院手続きを

母が手続きをしてくれた。

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